自動車メーカーがモータースポーツをやる意義が失われつつある
トヨタがWRCにインスパイアされたヴィッツのホットハッチを計画しているようです。ハイブリッドか直噴ターボエンジンを搭載し、最高出力は180psオーバー。実現すればVW・ポロGTIがライバルになるでしょう。
しかし現在のWRCは、市販車と何らつながりを持たないマシンで競われています。つまりWRCの技術がフィードバックされるわけではありませんから、ヴィッツのホットハッチは見せかけだけとも言えるわけです。
建前を大事にする日本社会においては、そんな身も蓋もないことを言うモータースポーツ関係者は皆無でしょう。しかしトヨタと同じく来年WRCに復帰するシトロエンは、「WRC参戦は、顧客やディーラーには何ももたらさない」とバッサリ切り捨てています。
ですがシトロエンは、モータースポーツを嫌っているわけではありません。市販車から乖離するばかりのモータースポーツの未来を憂いているのです。
画像の出典:kallerna [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons
市販車とつながりのないモータースポーツの問題点
現在のモータースポーツにおいて使用されている技術の大半は、市販車と直接的なつながりがありません。レーシングカーと乗用車では使用環境がかけ離れていますし、レギュレーション上も市販車に縛られないようになっているためです。
グループAの時代
フォード・シエラRS500コスワースや、BNR32スカイラインGT-Rがしのぎを削ったグループAレースは、市販車ベースのレースとしてはもっとも成功した事例と言えます。
ラリーでもランチア・デルタ・インテグラーレやセリカGT-FOUR、ランサー・エボリューション、インプレッサWRXなどの名車を生み出し、市販車としても一時代を築き上げました。
しかしそれらの名車こそが、グループAレギュレーションの問題点を示しています。市販車製造の段階でレース用の改造を施さなければ勝てないグループAは高コストでしたし、大半の顧客にとっては必要のない改造を押し付ける格好となり、マーケティングの促進どころか、実際には足を引っ張っていたのです。
大半の自動車メーカーはレースで勝てるような尖った性能を持つ市販車を作らなくなり、グループAに参戦するワークスは次第に減っていきました。グループAレースの末期はGT-Rのワンメイク状態でしたし、ラリーも勝てるのは日本車だけになっていたのです。
このような経緯からレースと市販車のつながりは徐々に希薄化されていったのですが、今度は別の問題が頭をもたげてきました。冒頭のシトロエンのコメントにあるように、自動車メーカーがモータースポーツをやる意義が失われてしまったのです。
シトロエンの危機感
Auto EXPRESSの取材に対し、シトロエンのCEOであるリンダ・ジャクソン氏はこう答えています。
ありきたりの「モータースポーツの技術を市販車にフィードバック」というお題目よりも、ジャクソン氏のコメントはよほど誠実です。そして彼女の問いかけは、モータースポーツに関わる人すべてが真面目に考えなければならない問題だと思います。
技術開発の役に立たず、マーケティング上もブランド認知以外にメリットが無いのであれば、すでに知名度のある自動車メーカーにとって、モータースポーツは何の価値もありません。自動運転のようなモータースポーツの対極ある技術が、市販車開発の中核になりつつあるのも気がかりです。
よってジャクソン氏の問いに対し何らかの答えを出さなければ、やがてはモータースポーツ自体が無くなってしまうでしょう。
モータースポーツと自動車メーカー
モータースポーツは自動車メーカーが始めたものではないので、両者はくっついたり離れたりを、実に100年以上も繰り返してきました。
ナチス・ドイツとモータースポーツ
初期のモータースポーツは、貴族や金持ちの道楽でした。ある意味牧歌的な時代だったといえるでしょう。
やがて戦間期になると、ナチス・ドイツやイタリアのファシスト政権がモータースポーツを国威高揚に用いるようになりました。アドルフ・ヒトラーは国民車を作る「kdfワーゲンプロジェクト」と、最速のレーシングカーを作る「Pワーゲンプロジェクト」の2つを指示。ちなみにPワーゲンのPは、フェルディナント・ポルシェ博士のPです。
ナチス・ドイツからの支援を受けたメルセデス・ベンツとアウトウニオン(アウディの前身)は、それまでマセラティやアルファロメオ、ランチアなどが支配していたグランプリレースを瞬く間に席巻。ドイツの科学力を見せつけました。
当時最先端の技術だった自動車を用いた競技での勝利は、第一次大戦の敗北で失意の底にあったドイツ国民を大きく勇気づけたはずです。それがヒトラー崇拝に至る一因となってしまったのは、モータースポーツファンとして残念でなりません。
第二次大戦でナチス・ドイツが敗北すると、国家とモータースポーツの蜜月は一旦終わりを告げます。
黄金時代の到来
戦後になると新興自動車メーカーがモータースポーツの宣伝効果に目をつけ、続々と参戦を開始しました。その中でもっとも成功したのはフェラーリでしょう。
自動車メーカー以外も、モータースポーツ人気に目をつけます。F1世界選手権で無制限のスポンサーシップが許可された1968年以降は、自動車関連産業(石油メーカーやタイヤメーカーなど)はもちろんのこと、タバコメーカーなどもモータースポーツに巨額の投資を開始。マシンがスポンサーカラーに彩られるようになったのです。
オイルショック
第四次中東戦争に端を発するオイルショックは、モータースポーツ業界に多大な経済的ダメージを与えました。ほとんどの自動車メーカーがモータースポーツから撤退してしまったためです。
日本のモータースポーツ黎明期を支えてきた日本GP(初期の日本GPはF1ではなく、プロトタイプとツーリングカーのレースだった)も消滅し、プライベーター主体の富士グランチャンピオンレースが取って代わりました。
世界的なビジネスに
F1は世界選手権でしたが、世界的なビジネスになったのは1981年以降です。バーニー・エクレストン(当時FOCA会長)がジャン=マリー・バレストル(当時FISA会長)とコンコルド協定を結び、商業権を獲得。テレビ局との放映権料交渉をまとめあげたことで、多額のマネーが動くスポーツに変貌を遂げました。
ジャパンマネー
80年にホンダがF2エンジンの供給を開始して以降、日本の自動車メーカーも徐々にモータースポーツへと復帰し始めます。
84年にはホンダがF1に復帰、86年には日産が、87年にはトヨタがそれぞれル・マンにワークス参戦を開始。F1とル・マンは日本でもテレビ中継されるようになり、国内でモータースポーツブームが巻き起こりました。
このころのヨーロッパは不況に見舞われていましたが、多額のジャパンマネーが流入したことで、欧州のモータースポーツは一息つけたようです。
2度のバブル崩壊
しかし91年に日本の不動産バブルが崩壊すると、サーキットとマシンを埋め尽くしていた日本企業のスポンサーロゴは、跡形もなく消えてしまいました。
日本の自動車メーカーも次々と撤退しましたが、今度は経済的に立ち直ったヨーロッパやアメリカの自動車メーカーが、国際的なレースに復帰。各カテゴリーにワークスチームが増え始めます。
また、著しい経済成長を遂げた新興国は、政治家の人気取りと国威発揚のために、世界的なイベントを誘致するのに躍起になっていました。F1はこれを利用し、国家や自治体の支援を受けたサーキット側から多額の開催権料を徴収、新たな収入の柱とすることに成功します。国家とモータースポーツが、ふたたび接近を始めたのです。
これらによって、90年代後半から2000年代前半には再びモータースポーツが隆盛を極めましたが、リーマン・ショックで全てが水泡に帰してしまいました。タバコスポンサーの禁止も追い打ちをかける格好となり、モータースポーツには冬の時代が再び到来したのです。
そして2016年、モータースポーツは存在意義そのものが問われています。
モータースポーツに対する自動車メーカーの新たなスタンス
現在のモータースポーツは、NASCARやスーパーGTのような「エンターテイメント路線」と、F1やWECのような「技術開発路線」の2種類に大別できます。2つのうち存続の見込みがあるのはエンタメ路線だと思いますが、それでも現在のやり方のままでは、遅かれ早かれ行き詰まるでしょう。
技術開発路線の問題点
こちらの問題点は明白ですね。市販車と乖離した技術に高いコストを支払い続けることは、自動車メーカーにとってマーケティング上の意義がありません。
あれほど勝ちまくっているメルセデスですら、株主からは「F1撤退」の声が上がるほどです。F1に投資するくらいなら配当を増やせ、自動運転に投資しろと言いたくなる気持ちもわかります。
エンタメ路線の問題点
モータースポーツが厳密には"スポーツ"ではないことが、エンタメ路線における問題点となります
モータースポーツは肉体的にはかなりの負荷を伴いますし、バトルの精神的プレッシャーは相当なものです。また、変化し続けるレースコンディションに神経を尖らせ、頭脳をフル回転させて戦略を組み立てなければ勝てません。その意味では間違いなくモータースポーツは"スポーツ"です。
でもそのスポーツを楽しめる人間が、地球上に何人にいるのでしょうか? サッカーや野球なら、やろうと思えば誰もが楽しめます。しかしモータースポーツは、お金持ちでなければ楽しめません。
お金持ち以外にとってのモータースポーツは、気晴らしになるどころか、やればやるほど資金面での悩みを抱え、憂鬱になるスポーツです。一般家庭に生まれた若いレーサーなどは、練習よりもスポンサー探しに奔走しています。
スポーツにとっての根源的な価値となる「楽しさ」を一部の人間しか共有できないモータースポーツは、スポーツになりきれていない中途半端な存在なのです。
勢いを失うNASCAR
お金がかからないと言われていたNASCARとて、スプリントカップで1台のマシンを1年間走らせるのに30億円ほど必要です。それでも人気があったので経済的な問題はありませんでしたが、近年は視聴率が下がり続けています。次の放映権料交渉では、NASCAR側は不利な条件を飲まざるをえないでしょう。
限界が見え始めたスーパーGT
ホンダ・アコードの一人勝ちとコスト高騰で消滅したJTCCの二の舞いを避けるべく、スーパーGTはコスト削減とともに、「プロレス」とも揶揄されるハンデウェイトによって接近戦を演出し、ライト層を惹きつけることに成功しました。
しかし2014年のDTM規定導入以降、日産・GT-Rばかりが勝つという異常事態が発生しており、ハンデが機能していません。スーパーGTの根幹が揺らいでいるといってよいでしょう。
国際化も上手くいっていません。先日のタイ戦の観客動員数は、2日間合計で52,197人でした。初年度の117,765人と比べると、55%もの大幅減です。現地日本企業の動員もあるはずですから、スーパーGTが好きで見に来てくれているタイ人のファンは、2日間でのべ2〜3万人くらいしかいないのではないでしょうか。
スーパーGTはマシンこそ国際色豊かになったものの、ドライバーやチームの方は変わり映えしません。タイ人のドライバーがいないのでは、タイのファンだって盛り上がりようがないのが現実でしょう。
よりシンプルで面白いモータースポーツを創り出すしかない
国際化しようと思っても海外市場を代表するようなドライバーが出てこないのは、やはりモータースポーツにお金がかかりすぎるからなのです。日本の場合は自国に多数の自動車メーカーがあったので上手くいきましたが、韓国や中国のように自動車メーカーを抱える国ですら、人材育成は上手くいっていません。一般層に人気がないため、自動車メーカーが育成プロジェクトに大金を使いたがらないのです。なぜ一般層に人気がないかといえば、やはりモータースポーツにお金がかかりすぎるからでしょう。
若者が自動車に興味を失いつつあるのは、世界的な現象です。アメリカのレース主催団体であるIMSAも、ファンの高齢化に悩んでいました。
日本のモータースポーツが幸運だったのは、①自国に自動車メーカーが多数存在し②若者が自動車に夢中だった時代と③好景気とが上手く重なって、一気に市民権を得たことです。3つの幸運が重なったのは、文字通り奇跡的でした。
日本と同様の環境にある韓国や中国でモータースポーツの普及が進まないのは、②が欠けているからです。最近では③も失われてしまいました。
このような状況を打破するためには、よりシンプルでお金がかからず、それでいて面白いモータースポーツを新たに創り出す以外にないと思います。レーシングカートよりもお金がかからないモータースポーツでなければ、巨大なスポーツのコミュニティを生み出すことは不可能でしょう。
マシンをシェアできるようなモータースポーツならば、一人あたりのコスト負担を減らせます。シェアできる人数を増やすには、レース一回あたりの時間が短いほどよいです(回転率が上がるため)。
となると、ジムカーナやドラッグレースのような競技が向いていると思われますが、ジムカーナにはサイドバイサイドのバトルがなく、ドラッグレースにはコーナリングやブレーキングがありません。2つを混ぜ合わせたような競技ならば、モータースポーツの醍醐味を全て兼ね備えることができるのですが……。
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