次期GT-Rが自動運転に!? 「走りの楽しさ」は絶滅寸前?

ニッサンの新車情報

サーキット走行が体感アトラクションになる日も近い?


自動運転は開発してない自動車メーカーの方が少ないくらいで、もはや珍しいものではありませんが、さすがにスポーツカーの自動運転となると話は別です。

Future Nissan GT-R Might Just Take You Around The Track On Its Own – carscoops

2020年までに10台の自動運転車を市場に投入するとしている日産は、ユーザー所有のGT-Rで、サーキットのレコードラップを追体験できるようにしたいと語っています。

「車を運転する楽しみが削がれるのでは?」という問いには、「車に自動運転させるかどうかはドライバーが選べるようにするから大丈夫」と答えていますが、スポーツドライビングに対する認識が変わるのは避けられないでしょう。

しかし車を走らせる、スピードを感じるという行為自体に、人間をワクワクさせる何かがあるのは確かです。だからこそ人類は、馬でも船でもスピードを競い続けてきました。

よって自動運転になっても、スピードを追い求める人々がいなくなるとは思えません。なので今回は、「自動運転の時代に人はどのように走りを楽しむのか」について予想してみようと思います。


目次

  1. 腕くらべ→セッティングくらべ
  2. サーキットがアミューズメントパーク化
  3. 峠や首都高が安全なサーキットに
  4. ドライビングが特殊技能化する
  5. 時速200km/hが身近になり、走りにうるさい人が増える

腕くらべ→セッティングくらべ

最初に述べたように、自動運転が当たり前になっても、車で競争するという行為自体はなくなりません。むしろ自動運転によって競争環境がより安全になるため、スリルを求めて競争する輩が増える可能性が高いでしょう。

自動運転だと競争の本質は、ドライバー同士の腕くらべから、車のチューニングやセッティングを競う傾向にシフトすると思われます。

安全なサーキットで人間がステアリングを握り、車の状態を感覚的に掴み、その感覚とデータをすり合わせながらセッティングを進めていき、レースのときには自動運転にまかせる。勝敗は車と自動運転システムの出来しだい……というような競争になるはずです。

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サーキットがアミューズメントパーク化

ニュルブルクリンクでは「リングタクシー」と呼ばれる、レーシングスピードを体験できるサービスがあります。


画像の出典: caradvice.com


日産の考えは、ユーザー車両によるリングタクシー体験といえるでしょう。

また、ユーザーそれぞれがチューニングした車を、サーキットで相互に交換して体験することもできます。自動運転なら事故の心配はありませんから、遠慮無く貸し出せるのです。

車の貸し借りを通じての交流や、データの共有・セッティング相談など、新しいカタチのコミュニティが生まれてくるはずです。

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峠や首都高が安全なサーキットに

峠や首都高を車両の限界スピードで走ることは違法行為であり、走り屋たちの武勇伝はアンダーグラウンドな世界の話として、市民権を得ることはありませんでした。

しかし自動運転車の比率が100%近くなってくると、話は変わってきます。

騒音などの問題を別にすれば、自動運転車は車両の限界スピードでミス無く走り続けることが可能ですから、200km/hオーバーで高速走行するのはさしたる問題ではなくなります

峠では、誰もが愛車でドリフトを体験できるようになるはずです。センターラインをはみ出さないようにドリフトすることなど、自動運転車には朝メシ前ですから。


スキール音がうるさいと苦情がくるなら、ドリフト体験可能な日を特別に設ければよいでしょう。事故が起きないので特別な安全対策をする必要がなく、峠道を封鎖する必要もありませんから、低コストでイベントを開催できます。

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ドライビングが特殊技能化する

平成26年度の運転免許統計をしらべると、日本の運転免許保有者数は約8200万人。3人に2人が運転免許を持っている計算になります。

ですが自動運転が主流となれば、運転免許保有者が激減するに違いありません。教習所もほとんどが潰れるでしょう。

すると車を運転できる人間が希少価値を持ち始め、運転技能が特殊技能と見なされるようになります

運転の陳腐化が引き起こすもの

自動運転の時代が到来すれば、世間はレーシングドライバーをサッカーや野球の選手と同等に扱うようになるでしょう。

その変化は機械が「運転」を代替することで陳腐化し、「駆け引き」や「創造性」などの「人間味」の部分がクローズアップされることで引き起こされます。

機械のような人間は、より人間らしく見える

プロ野球選手より速いボールを射出するピッチング・マシーンが存在しても、プロ野球のピッチャーをバカにする人はいません。ピッチャーが機械に近い精度を持っているからです。

しかしアスリートが機械のようになろうとしても、決して機械にはなれません。むしろ人間らしい手段(努力や工夫)を用いることで、機械のような高い精度と正確性を身に付けることができます

勝利したアスリートの鉄面皮が笑顔になったり、正確だったプレーが突如に崩れたりするところに、われわれは人間味を見出し共感します。

けれどアスリートのそのような栄光や悲劇は、機械の精度に近づこうとした結果として起こるものです。

つまりアスリートが機械の精度に近づこうとするほど、むしろより人間らしくならざるを得ないのです。

自動運転は、比較対象であるレーシングドライバーの人間味を際立たせてくれるでしょう。

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時速200km/h身近になり、走りにうるさい人が増える

走り屋の世界はアンダーグラウンドで、モータースポーツは非日常でした。だから走り方面に詳しい人はごく少数で、車の話題といえばもっぱら燃費や室内の広さに関するものばかりでした。

でも自動運転の時代には、高速道路で時速200km/hは当たり前になります。超高速領域での安定性やレーンチェンジ時の挙動などが不快なら、たくさんの人からクレームが入る時代が到来するのです。すなわち、ハイスピードの日常化が起こります。

自動運転社会で人々は、スポーツをするように車のスピードを楽しみ、議論し、優劣を決めようと比較や競争をするでしょう。

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