フェラーリF1撤退を検討(2年連続5回目)

F1,モータースポーツ

レッドブルよ、これが真の撤退するする詐欺だ!

フェラーリがF1撤退をほのめかしているとのことです。

フェラーリ SF-15T_外観

画像の出典: By Morio (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons


フェラーリがF1撤退発言。バーニーとの対立深まる – AUTO SPORT web

レッドブルが来季のエンジンを巡りF1撤退をちらつかせていたのは記憶に新しいところですが、再びエンジン絡みで撤退騒ぎが発生してしまいました。

といっても、フェラーリがF1から撤退する可能性は万に一つもありません。レースはフェラーリのブランドビジネスの中核であり、F1と同等のプレゼンスを有するレースシリーズが他に無い以上、フェラーリはF1に参戦し続けるしか無いからです。

よってフェラーリのF1撤退発言は常にブラフ(威嚇)であり、「これ以上は妥協しないよ。妥協させたいならフェラーリに譲歩して」というメッセージです。そしてフェラーリはこのやり方で、常に相手を譲歩させることに成功してきました。今回はその栄光の?歴史を振り返ってみたいと思います。

目次

1、フェラーリ、インディカーを作る。

2、F1に替わる独自シリーズ旗揚げ!?

3、F1分裂騒動

4、フェラーリ、ル・マン参戦か!?

5、勝てないときの風物詩


フェラーリ、インディカーを作る。

1985年当時、FIAはターボ禁止後のF1エンジンをV8のみに規制しようとしていました。

フェラーリのアイデンティティたるV12を導入したいエンツォ・フェラーリは、FIAの動きに反発し、「F1撤退、87年からのインディカー参戦」の計画をぶち上げたのです。

フェラーリはまずグッドイヤーを介し、CART(Championship Auto Racing Teamsの略。カートと呼ばれる。同名の選手権を運営するインディカーの団体)の有力チームであるトゥルー・スポーツとR&Dの業務提携を結びました。

85年のCARTシーズン後には、ボビー・レイホールがイタリアに渡り、マーチ85C・コスワースでフィオラノ・サーキットおいてテストを行いました。このテストには当時フェラーリでF1ドライバーを務めていたミケーレ・アルボレートも参加しています。

マーチ86C・コスワース
画像はボビー・レイホールの86C。形状は85Cとほぼ同一。

画像の出典: by Jake Archibald via flickr


インディカーを徹底的に検証したフェラーリは、グスタフ・ブルナー(後にミナルディやトヨタF1で活躍)を招聘し実際にインディカー「637」を製作させました。

フェラーリ 637 インディカー_外観

画像の出典: By Morio (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons


637はミケーレ・アルボレートの手でテストが行われ、「フェラーリが本当にF1から撤退するのではないか?」と大騒ぎになりましたが、結局フェラーリはインディカー参戦計画を取り止めました

CARTシリーズは一時期F1を凌ぐほどの人気がありましたから、もし87年からフェラーリが参戦していたなら、F1に取って代わっていたかもしれません。

F1に替わる独自シリーズ旗揚げ!?

2001年、収益の分配がバーニー・エクレストンに偏りすぎていることに反発したフィアット(フェラーリ)、ルノー、BMW、メルセデス・ベンツ、フォードなどが、コンコルド協定が切れる2008年より新シリーズ「Grand Prix World Championship(GPWC)」を立ち上げると宣言します。

このGPWCは、フィアットの会長が音頭を取って設立されたのですが、最初に離脱したのもフィアットでした。フェラーリは2005年1月にコンコルド協定の延長に同意し、GPWCは骨抜きにされてしまいました。

F1分裂騒動

2010年から導入予定だった予算制限に各チームが反発。チーム側はFOTA(Formula One Teams Association)という組織を結成し、新シリーズを立ち上げると発表します。しかしウィリアムズとフォース・インディアはこれに加わらず、FOTAは両チームを除名しました。

結局FIAが予算制限案を取り下げたことで分裂自体は回避されたのですが、今度はFOTAとFIAが2012年末に失効するコンコルド協定を巡り対立します。

一抜けしたのはまたもフェラーリでした。レッドブルと共にFOTAから脱退し、新コンコルド協定に署名したのです。この契約によりフェラーリは、F1持ち株会社の経営に関与できる「特別待遇」を手に入れたと言われています。

フェラーリ、ル・マン参戦か!?

当時のフェラーリ会長ルカ・モンテゼモーロは、1.6リッターV6ターボの導入にかねてから反対しており、導入が決定した後も「満足していない」と事あるごとに発言していました。

2013年末には「(LMP1クラスでの参戦を)真剣に考えるべきだ」とモンテゼモーロが発言し、フェラーリのル・マン参戦がにわかに現実味を帯びてきます。

迎えた2014年シーズンは、メルセデスが開幕から他を圧倒。フェラーリエンジンがメルセデスに追いつくのは絶望的との観測が広まります。

そんな最中、フェルナンド・アロンソがル・マン24時間レースを訪問しスタートフラッグを振ったことで、報道が一気に加熱します。フェラーリのル・マン参戦が、まるで既定路線であるかのように語られ始めたのです。

結局モンテゼモーロが報道内容を否定したことで騒ぎは収まりました。その後モンテゼモーロはフェラーリを去ることになりましたが、ル・マン参戦騒動の影響かどうかはわかりません。

1つだけ言えることは、騒動が起こったのはフェラーリがNYSE上場を控えた大事な時期だったということだけです。

勝てないときの風物詩

フェラーリの「撤退するぞ」発言は、阪神ファンのやじみたいなもので、勝てないときにだけ発せられます。そして勝てなくても阪神ファンは応援を止めないでしょうし、フェラーリもF1を辞めないのです。