ドリフトキング土屋圭市物語① 格差社会にいきなりの挫折!

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土屋圭市の足跡を辿れば、彼の魅力が見えてくる。

ドリフトキング・土屋圭市が現役を引退してから、12年が経ちました。

彼の姿は、今でも多くの自動車関連メディアで見ることができます。しかし若いモータースポーツファンの目には、「でしゃばり」「仕切り屋」「口だけ」などと映るようです。


土屋圭市批判の原因

批判の根拠のひとつに、彼が現役時代にビッグタイトルを獲れなかったことがあります。「全日本のタイトルも獲ってないのに偉そうに」と思われてしまうわけです。

しかしモータースポーツはチームスポーツであり、道具や環境に依存する以上、タイトルを獲得したかどうかだけで選手を評価するのは不適切です。カープやベイスターズ一筋の選手は優勝とは無縁ですが、だからといって2流の選手ばかりではないはずです。

身から出た錆

批判を招きやすいもうひとつの理由は、土屋圭市が峠の走り屋だったことにあります。「違法行為で有名になった」と彼を非難する声は多いです。

たしかに土屋圭市は違法行為で腕を磨いていました。しかし後にそのことが問題となったとき、彼は2度と峠でドリフトしないとJAFに誓約書を出し、自らの過ちを反省しました。その後の土屋圭市のモータースポーツ界への貢献を考えると、彼の過ちばかりを責め続けるのはフェアではありません。

土屋圭市は、毀誉褒貶相半ばする人物です。しかし、ビッグタイトルを獲得せずに、これほど多くのファンを獲得とした日本人のレーシングドライバーは他にいません。土屋圭市が人々から愛された理由を探るために、彼の足跡を辿ってみましょう。

いきなりの挫折

土屋圭市がレーシングドライバーを志すキッカケとなったのは、高校時代に富士スピードウェイで見た、高橋国光が駆るハコスカGT-Rの走りです。免許を取得した彼は、さっそく峠を走り込むようになります。

早くもレースに参戦

その後、富士フレッシュマンレースを見た彼は「自分でも勝てそうだ」と感じ、解体屋で買った5万円のB110サニーでフレッシュマンレースに参戦を開始します。しかしマシン性能に差がありすぎたため、78年は第6戦での3位表彰台が精一杯でした。

土屋の駆るB110サニー。素人チューンのエンジンでは歯が立たなかった。

土屋はマシンのハンデを腕で補おうと、高橋国光に憧れて買った愛車のハコスカで峠を走り込みました。お金の無い彼にとって、練習の場は峠しかなかったのです。「1週間に10日走る」というくらい練習に練習を重ね、彼は腕を磨きました。

屈辱

79年の初戦で5位、第2戦では2位表彰台を獲得し、優勝に手が届くところまできた土屋でしたが、その後は成績が振るわず、入賞かリタイアかというレースを繰り返します。

当時の富士スピードウェイは現在の富士以上に高速コースでしたから、エンジン性能がモノを言う世界だったのです。参戦台数が増えるにつれ、彼の成績は下降していきました。サーキットは、完全な格差社会だったのです

資本は無くても腕はある

途方に暮れていた土屋に救いの手を差し伸べたのは、富士フレッシュマンレースの強豪チーム・倉田自動車でした。テストで好結果を残した彼は、倉田自動車チューンのエンジンを手に入れることに成功します。自分の腕で、格差社会の壁を打ち破ったのです。

初優勝

後にその倉田自動車のドライバーとなった土屋は、水を得た魚のように大活躍を始めます。入賞の常連となった土屋は、82年の第2戦でついに初優勝! 足かけ6年でようやく辿り着いた栄冠でした。

ぶっちぎりの速さ

翌83年、土屋はパルサーやKP61スターレットでも参戦を開始します。

土屋の駆るN10パルサー

特にKP61で参戦したNP1300クラスでは、優勝2回、2位6回の驚異的な成績を残し、念願のチャンピオンに輝きました。

チャンピオンマシンとなったKP61スターレット

華麗にハチロクを操る「サーキットの」ドリフトキング

84年に土屋は、前年に発売されたばかりの最新型スポーツモデルだったAE86スプリンタートレノのステアリングを握ることとなります。


伝説の6連勝

土屋の駆るアドバンキャロット倉田トレノは、同クラスの2位に10秒から20秒の大差をつけて勝つのが当たり前で、まさに横綱相撲でした。周回数は10周でしたから、1周あたり1〜2秒も速かったことになります。

土屋の速さは、混走していた別クラスのスカイラインRSターボを追い回すほどでした。

’84富士フレッシュマンレースシリーズ第5戦

クラス 順位 エントリー名 タイム 周回数
NPオープン 1 NP-Tokyo RSターボ 0:20:57.180 10
NPオープン 2 日産プリンス千葉スカイライン 0:20:57.310 10
NPオープン(Ⅱ) 1 ADVANキャロット倉田トレノ 0:20:57.900 10
NPオープン 3 平山モータースメッカRSターボ 0:21:02.630 10

データの出典:jaf.or.jp その1 その2

アドバンカラーのAE86が格上のDR30をドリフトしながらオーバーテイクする姿は、お金が無くスカイラインを買えない多くの若者たちに、夢と希望を与えました。

格上の車を突っ込みで抜くために編み出した「速いドリフト」

プロ転向

開幕から6連勝した土屋は、文句無しにチャンピオンを獲得。この成績がヨコハマタイヤとの契約に繋がり、グループAへのステップアップが決まります。レースデビューから足かけ8年で、土屋圭市はついにプロのレーシングドライバーとなったのです。

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ドリフトキング土屋圭市物語② 出世よりも意地とプライド