ルノーがF1に復帰

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ルノーF1復活記念! その栄光の歴史を振り返る!

ルノーと言うと日本では、日産の親会社でメガーヌやカングー、ルーテシアみたいなファミリーカーを作ってる……というくらいにしか思われていませんが、実はF1においてルノーは、山形県民にとっての芋煮みたいに大事な存在なんです。

そこで今回は、ルノーF1の歴史を振り返ってみたいと思います。

第1章 ターボエンジンのパイオニアとして

1977年、ルノーはターボエンジンを引っさげてF1に参入しました。

ルノーは既にル・マン24時間レースにターボエンジンを実戦投入していました。しかし直線の長いサルト・サーキットならともかく、テクニカルなコースにおけるターボの実力は未知数でした。

そのル・マンでは1978年に勝利を納めましたが、F1での勝利は翌1979年のフランスGPを待たなければなりませんでした。

ちなみに初優勝を上げたドライバーはジャン・ピエール・ジャブイーユです。

しかしディジョンサーキットに集まった観客の視線は、2位を争うジル・ヴィルヌーヴとルネ・アルヌーのバトルに釘付けにされていました。

なので1979年のフランスGPは、ルノーが初優勝を遂げたGPとしてではなく、F1史に残る名バトルが行われたGPとして人々の記憶に残ったのでした。

1981年にはアラン・プロストが加入しましたが、マシンの信頼性不足からタイトルを獲るには至りませんでした。

第2章 ホンダの天敵

コンストラクターとしては1985年、サプライヤーとしては1986年限りでF1から撤退していたルノーは、1989年に復帰します。

当時はマクラーレン・ホンダの全盛期、しかもそのドライバーはプロストと、音速の貴公子アイルトン・セナ。

誰がどう見ても無謀な挑戦でしたが、ルノーは新しいコンセプトでホンダに挑みます。当時のホンダエンジンはパワーこそ出ていたものの、重くかさばるものだったと言われていました。そこでルノーはシャシー性能を損なわずに済むよう、コンパクトで軽量なエンジンを作り上げたのです。

このコンセプトは功を奏し、ルノーは92年以降タイトルを独占します。

しかしルノー本体の経営不振に伴い、97年限りでF1から再び撤退することになってしまいました。

第3章 100%ルノー

2000年、ルノーはかつてエンジンを供給していたベネトンを買収し、2001年からフルコンストラクターとしてF1に復帰します。ルノーは革新的な111度の広角V10エンジンを持込み、低重心がもたらすコーナリング性能を武器に、並み居るワークスを相手に新たな挑戦を開始しました。

当時は世界的に景気が良かったため、2000年にエンジンサプライヤーとしてホンダとBMWが、フルコンストラクターとしてジャガー(当時はフォードグループ)が復帰したのを始め、2002年にはトヨタまでもがF1に参戦し、フェラーリ、メルセデスと合わせると、7社もの自動車メーカーがF1にワークス参戦し、戦国時代の様相を呈していました。

しかしルノーの最大の敵はフェラーリでした。当時のフェラーリはミハエル・シューマッハーとブリヂストンタイヤの強力なパッケージでグランプリを席巻しており、02年は17戦中15勝と、03年は16戦中8勝、04年は18戦中15勝と、まさに敵なしの状態でした。

そんなフェラーリ絶対王政の間隙を突き、ルノーは03年のハンガリーGPで復帰後初優勝を達成、04年にはモナコで優勝しました。テクニカルサーキットでの勝利は、低重心パッケージのおかげと言えるでしょう。そして05年、06年とルノーはダブルタイトルを獲得します。

ところが07年は未勝利に終わってしまいます。08年も精彩を欠き、しかもシンガポールGPではアロンソを勝たせるべくセーフティーカーを出させようと、故意にネルソン・ピケJr.をクラッシュさせるというスキャンダルまで起こしてしまいます。09年12月にルノーはチーム売却を発表、2010年シーズンをもって「100%ルノー」は幕を閉じました。

第4章 そして伝説へ……

11年以降もエンジン供給を続けていたルノーは、レッドブルと共に4度の栄光を手にします。しかしルノー側が期待したほどの露出効果はなかったようです。その上1.6リッターターボに切り替わった14年以降はエンジントラブルが頻発し、レッドブルから名指しで批判されることもしばしばあり、ルノー側としては不満を溜め込んでいたようです。かつてのホンダとB・A・Rの関係を彷彿とさせますね。

そんなこんなで再びフルコンストラクターとしてF1に復帰することとなったルノー。フルコンストラクターとして参入または復帰したときには、ルノーは必ず3年以内に何らかの結果を出しています。おそらく今回もその例に漏れず、ルノーは短期間で栄光を掴みとるでしょう。

心配なのはホンダです。第3期においてもタイトルを獲れぬまま撤退したホンダは、あろうことかエンジンサプライヤーとして復帰してしまいました。散々B・A・Rと責任のなすりつけ合いをやったのを、もう忘れてしまったのでしょうか。