第4期ホンダF1が失敗する理由

F1,モータースポーツ

前のエントリで、フルコンストラクターとしてF1に復帰する原因のひとつがレッドブルとの不仲であり、彼らが責任のなすりつけ合う様は、まるでホンダとB・A・Rのようだと書いた。


ルノーがF1に復帰

エンジンサプライヤーとコンストラクターが良好な関係を築くのは難しい。ましてやレースで勝てないならば尚の事だ。コンストラクター側は「エンジンパワーが足りない」とメーカー側を批判する。だがパワー不足を客観的に証明することは難しい。なぜならレースにおける「パワーのあるエンジン」とは相対的なものであるから、あるエンジンのパワーが十分かどうかについては、他メーカーのエンジンパワーに関する明確なデータが必要となる。直線の最高速度などである程度は推測可能でも、それだけでは確たる証拠とはならない。よってホンダの責任者である新井氏が「ルノーを25馬力上回っている」とほざいても、マクラーレン側はそれが嘘だと証明することはできない。

シャシーに関してはこれと同様の構図が、主客を入れ替える形で発生する。つまりエンジンを供給するメーカー側が「シャシーが遅くてレースにならへん」と批判しても、やはり「速いシャシー」とは相対的なものだから、客観的な証拠を揃えることができないのだ。コンストラクター側は「ウチのシャシーは世界一や!」と強弁すれば、メーカー側は引き下がらざるを得ない。

おまえらいいかげん学習しろよ

このようなイザコザは、F1界において何度も繰り返されている。94年、マクラーレンはプジョーと契約したが、あまりの信頼性の低さに80年以来の未勝利に終わった。ロン・デニスは4年契約の初年度だったにも関わらずプジョーを見限り、メルセデスと新たに契約を結んだ。

伝説のロケットスタート

とは言えマクラーレン・プジョーは8回も表彰台に上っているのだから、2015年のマクラーレン・ホンダよりはるかにマシだ。

BMWもエンジンを供給していたウィリアムズとイザコザを抱えた挙句、ザウバーを買い取ってフルコンストラクターとして参戦する羽目になった。

ホンダとB・A・R、そして今回のルノーとレッドブルなど、自動車メーカーがエンジンサプライヤーとしてF1に参戦すると、上手く行かないことの方が多い。では上手くいった例はあるのだろうか?

自動車メーカーがエンジン供給した場合の成功例

  1. ブラバムBMW
  2. ブラバムBMWはネルソン・ピケを擁し、1983年にドライバーズタイトルを獲得した。ターボエンジン搭載車としては初のタイトルだった。この年はフラットボトム元年であり、パワーに物を言わせてウイングを立てられるターボエンジンが、明らかな優位性を示した年だった。NAエンジン搭載車は16戦中わずか3勝しかできなかった。ピケのライバルはルノーのアラン・プロストとフェラーリのルネ・アルヌーだったが、最終戦でそのライバル2人が揃ってリタイアに終わったことで、逆転でタイトルを獲得した。

  3. マクラーレンTAGポルシェ
  4. マクラーレンは84年からターボエンジンを搭載する予定だったが、ニキ・ラウダが「待ちきれないよ! 早く出してくれ!」と懇願したために急遽83年の後半戦からターボエンジンを搭載する羽目に。急ごしらえのマシンはまともに走らず、83年の後半戦は散々な成績に終わった。

    ところが翌84年に投入されたMP4/2は驚異的な戦闘力を発揮し、常勝マクラーレンの礎を築いた。上手くいった理由はいくつか考えられる。MP4/1から採用されたカーボンモノコック、鬼才ジョン・バーナードが手がけた空力デザイン、そして最高レベルのドライバーを2人揃えたこと。けれど最たるものは、マクラーレンがプロデュースしたポルシェエンジンだろう。このエンジンがTAGポルシェと呼ばれるのは、マクラーレンの株主であるマンスール・オジェの会社であるTAG社が、ポルシェに開発資金を提供したためだ。そのためジョン・バーナードはポルシェに細々とした注文を付けることができ、自らのデザインするシャシーにベストマッチのエンジンを手に入れることができたのだ。

  5. ウィリアムズ・ホンダおよびマクラーレン・ホンダ
  6. ホンダは86年から91年まで6年連続でチャンピオンエンジンとなったが、その成功の大半は巨額の資金と、ライバルの不在によってもたらされたものである。上述の通りTAGポルシェは、ポルシェがワークス参戦していたわけではないため、資金力という面でホンダに太刀打ちできるはずもなかった。ルノーとBMWのワークス活動は85年で終了し、フェラーリは84年以降、信頼性の低下に苦しんでいた。ライバルと成り得るメーカーは89年に復帰したルノーだけだった。そのルノーも軽量コンパクトなV10エンジンでホンダV12に対抗するには2年を要した。ルノーはロータスのスタッフから「シャシー側から見て望ましいエンジン」について知見を得、V10を選択したという。

  7. ウィリアムズ・ルノー、ベネトン・フォード、ベネトン・ルノー
  8. ウィリアムズは92年・93年と連続でタイトルを獲得したが、94年はベネトン・フォードのミハエル・シューマッハにタイトルを奪われた。当時ベネトンのテクニカルディレクターだったロス・ブラウンは、燃料給油が解禁される94年シーズンに照準を合わせて、93年半ばからマシンを開発していたという。

    翌年にはそのベネトンが、あっさりとルノーに鞍替えした。ウィリアムズと同スペックのエンジンが供給されると確約されていたためだ。

F1で自動車メーカーがエンジンサプライヤーとして成功するには

成功例から、いくつかの法則が導かれる。規定変更のタイミングを活かすこと。エンジンはシャシー側の意見に合わせて製作すること。十分な資金を投入すること。そして複数チームに供給する場合には、同スペックのエンジンを供給すること。

ホンダは第3期・第4期と、エンジンサプライヤーとしての成功法則を満たしていない。満たしているのは資金面くらいか。現状ではライバル不在など望むべくもないし、規定の大幅な変更だってしばらくはないだろう。複数チームへの供給も、現時点では夢のまた夢だ。まともに走らないエンジンを使うチームなど出てくるはずもない。

筆者は、独占供給はリスキーなやり方だと思っている。最初に書いたように、シャシーが遅くても客観的にそのことを証明できないからだ。だが複数チームに供給する場合には政治的な問題が出てくる。かつてスーパーアグリにホンダ(元BAR)のニック・フライが散々嫌がらせをしたのは、ホンダ本体のリソースを、スーパーアグリに割かせたくなかったためだろう。複数供給でもフェラーリとザウバーのようにチーム間の階級格差があれば文句は出ないが、それだとメーカー側のメリット──供給先の複数のチームが切磋琢磨し合う──が薄れてしまう。ウィリアムズ・ルノーとベネトン・ルノーの時代は、ルノーエンジン以外に戦闘力が無かったから対立が起こらなかっただけだ。そうでなければ、本当に同一スペックのエンジンが供給されていたとしても、意図的に政治的な問題を起こしてライバルよりも優位に立とうとするはずだからだ。

つまり外部状況によらず複数供給で政治問題の発生を抑えるためには、自動車メーカーがフルコンストラクターとして参戦しつつ、他チームにもエンジンを供給するより他ないのである。その上で供給先が有力チームならば尚良い。自チームに発破をかけることになるからだ。

メルセデスは上手いことやったなと思う。ウィリアムズという有力チームにもエンジンを供給している以上、メルセデスAMGのスタッフたちも気を抜けない。一方ウィリアムズ側にもメリットがある。メルセデスにフェラーリというライバルがいる以上、カスタマースペックとは言えフェラーリに負けないレベルのものが供給されるであろうことは約束されているのだ。

ホンダは厳しい。彼らは政治的な面で無防備すぎる。マクラーレンから罵られ、ドライバーから「GP2のエンジン」と呼ばれながら、いつまで活動を続けられるだろうか。第4期ホンダが既に折り返し地点を過ぎているように思えてならないのは、筆者だけだろうか。