ジネッタって知ってた?
ジネッタはイギリスのスポーツカーメーカーで、ロータスのようなバックヤードビルダーです。でもスポーツカーやモータースポーツに詳しい人以外は、ジネッタという名前を耳にしたことが無いかもしれません。
ジネッタの年間生産台数はとても少ない(おそらく200台程度)です。けれど彼らのモータースポーツへの取り組み方は素晴らしく、細部まで工夫が行き届いています。モータースポーツやスポーツカービジネスに興味があるなら、知っておいて損は無い会社ですよ。
- 1. ジネッタの歴史
- 2. ジネッタ社がこれまでに製造した車
- 2.1. G2(1958-1960)
- 2.2. G3(1960-1962)
- 2.3. G4(1961-1969, 1981-1985)
- 2.4. G10(1964-1965)
- 2.5. G11(1966)
- 2.6. G12(1966-1968)
- 2.7. G15(1967-74)
- 2.8. G21(1971-1978)
- 2.9. G26(1984)
- 2.10. G27(1985)
- 2.11. G28/G30/G31(1986)
- 2.12. G32(1989-1992)
- 2.13. G33(1991)
- 2.14. G34(1998)
- 2.15. G40(2010-)
- 2.16. G50(2008-2014)
- 2.17. G55(2014-)
- 2.18. G57(2015-)
- 2.19. F400/G60(2010-2015)
- 3. ジネッタのモータースポーツへの取り組み方
ジネッタの歴史
創業者であるウォークレット4兄弟が経営していた時代と、現経営者兼オーナーのローレンス・トムリンソンの時代とに大別されます。
ウォークレット兄弟の時代
ジネッタが創業されたのは1958年のことでした。サフォーク州ウッドブリッジで産声を上げた同社が最初に販売したのは、フォード・モデルYシャシー用のグラスファイバーボディでした。49ポンドで売れたそうです。
ジネッタが初めて作った車は「ジネッタG1」でしたが、これは「ウーズレー・ホーネット・シックス」をベースにしたものでした。
ウォークレット4兄弟は役割を分担しながら1989年までジネッタ社を経営・所有していましたが、引退を決めると国際的なエンスージアストグループに同社を売却しました。しかしこの売却がジネッタ社にとっては失敗となり、しばらくの間歴史の表舞台から姿を消すことになります。
ローレンス・トムリンソンの時代
2005年、介護事業等で財を成した富豪のローレンス・トムリンソンがジネッタ社を買収すると、休眠状態だった会社が一気に活性化。モータースポーツに軸足をおいたラインナップで、ジェントルマン・ドライバーたちの心をがっちりと掴んだのです。
ローレンス・トムリンソン氏はどんな人?
トムリンソン氏は、両親が運営していた介護事業(ケアホーム)を買収し、ビジネスの世界に入りました。
続いてケアホームを建設する建設会社を設立。ケアホームが不足していた時代だったので、建設会社の業績はうなぎのぼりだったといいます。
その後ケアホームのマネジメント業務用のソフトウェアを手がける会社を設立したり、航空機や鉄道向け化学会社(除氷剤などを供給)を買収するなどして、同氏が率いるLNTグループは拡大していきます。
一方でエンスージアストでジェントルマン・ドライバーでもあった彼は、2004年のル・マン24時間レースに出場。2005年にはジネッタ社を買収し、今ではイギリスのモータースポーツシーンに欠かせない人物です。
こうして築き上げたトムリンソン氏の資産額は、およそ5.5億ポンド(約700億円)にのぼると言われています。
ジネッタ社がこれまでに製造した車
種類が多いので、マイナーチェンジで細部が変更されているだけのモデルはひとまとめにしてあります。ワンオフのレーシングカーも省きました。
G2(1958-1960)
ロータス・セブンっぽい外観のジネッタG2は、チューブラーフレームにアルミボディ被せ、フォード製のコンポーネントを搭載した車です。車重は630kgと超軽量。100台ほどが生産されたそうです。
G3(1960-1962)
GTスタイルのグラスファイバーボディをまとったG3は、G2の発展系です。エンジンはG2と同じくフォード・サイドバルブ(1172cc)でした。
G4(1961-1969, 1981-1985)
商業的にも成功したモデルです。フォード・105Eエンジンを搭載したG4は、1969年に生産台数500台を達成。G4は一旦廃止されたもの、1981年にはシリーズⅣとして復刻。ジネッタを代表するモデルとなりました。
ボディタイプにはファストバック・クーペとロードスターがあるようです。
G10(1964-1965)
4.7Lのフォード製V8(270bhp)を搭載したハイパワーモデルで、アメリカ市場向けに作られました。あのACコブラとバトルを繰り広げたとか。
G11(1966)
G10と似ていますが、こちらはヨーロッパ向けのモデルとなります。エンジンは1.8L BMC B-Series S4 OHVでした。当初はコンバーチブルのみでしたが、後にクーペも追加されています。
G12(1966-1968)
ジネッタ車としてはG4と並んで有名な車です。コスワース・1150cc、もしくはコベントリー・クライマックス・2.0L、ロータス・2.0Lターボなどのエンジンを、ミッドシップに搭載していました。
G15(1967-74)
Hillman・impという車のコンポーネントを利用したG15は、ジネッタとしてはもっとも多く生産された車(600台)です。
ぱっと見だとフロントにエンジンがあるように見えますが、リアエンジンの2シータークーペとのこと。875ccのエンジンを搭載していました。
G21(1971-1978)
フロントエンジンの2+2クーペです。1750ccのヒルマンS4・OHCか、3.0Lのフォード・エセックスV6を選ぶことができました。
G26(1984)
4シーターのFRマシンであるG26は、フォード・コーティナの2.0Lエンジンを搭載。サスペンションやギアボックスなどもコーティナのものを使ったキットカーでした。
G27(1985)
ジネッタG4・シリーズ4の後継モデルとして登場したG27には、フォード・ゼテック1.8Lや、ヴォクスホールの16バルブユニット、ローバーV8などのエンジンバリエーションがあったようです。
G28/G30/G31(1986)
G26と同じくコーティナベースのキットカーですが、ヘッドライトがリファインされています。G31はリトラクタブルヘッドライト仕様でした。
G32(1989-1992)
トヨタMR2(AW11)っぽい外観のG32ですが、おそらくフロントエンジンだと思います。排気量は1.6L。クーペとコンバーチブル合わせて115台が生産されました。
G33(1991)
G27に似たフロントエンジン・ロードスターで、3.9L・ローバーV8が搭載されています。最高出力は200bhpで、100台が生産されたそうです。シエラコスワースのターボエンジンを載せた個体も何台かあったとか。
G34(1998)
たった8台だけ生産されたG34には、ボルボの2.0Lエンジンが搭載されていました。
G40(2010-)
現在のジネッタを支える主力モデルです。もっとも過激な「G40 GT5」でも、エンジンパワーは160bhpと非力なものの、805kgと軽いために戦闘力は高いです。
日本ではG40Rというロードバージョンが販売されていますが、UKではすでにラインナップから外れています。
G50(2008-2014)
トムリンソン体制に替わって最初の車です。トムリンソン氏自らが要求仕様を決めたというG50は、ジネッタ復活の起爆剤となった市販レーシングカーです。
フロントミッドにマウントされたフォード製3.5L・V6エンジンは、300bhpを発生します。車重は945kgなので、動力性能はかなりのものです。ロードバージョンの計画もあったようですが、リーマン・ショックの影響で無くなってしまいました。
G55(2014-)
G50の後継モデルです。GT4仕様と、GT3仕様の2種類があります。前者はフォード製の3.7L・V6(355bhp)、後者はジネッタ製4.35L・V8(570bhp)です。G55 GT3は、イギリスGT選手権では表彰台の常連マシンとなっています。
G57(2015-)
当初はLMP3マシンとして日産エンジンを搭載し、ELMS(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ)
に参戦していたものの、リジェJS P3にシェアを奪われてしまいました。
そのため現在はイギリスのブリットカー耐久や、フランスのVdeVチャンピオンシップ、ダッチ・スーパーカー・チャレンジに参戦しているようです。
現在のエンジンはシボレーLS3・6.2L・V8エンジンで、車重は900kgとなっています。
F400/G60(2010-2015)
Arash Motor Companyが設計したミッドシップスポーツカー「Farboud GTS」は、Farbio Sports Carsに生産委託され「Farbio GTS」として販売されていました。
ジネッタはFarbioのプロジェクトを引き継ぐ形でこれを生産し、当初は「ジネッタF400」として販売していましたが、後に「ジネッタG60」と名前を変えています。
F400とG60の違いはエンジンです。前者がフォードの3.0L・V6なのに対し、後者は3.7Lまでスープアップされています。
ジネッタのモータースポーツへの取り組み方
ジネッタは自社製レースカーを用いたワンメイクシリーズを複数主催し、幅広くモータースポーツ活動を支援しています。
レギュレーションの特徴
興味深い部分を抜粋してみました。
スポーティング・レギュレーション
- 審議用カメラを全ての参戦車両に車載
- ドライビングを監視し、罰則によるポイント分をチャンピオンシップポイントから差し引く。
ワンメイクレースなのに、全車に審議用カメラがついているのはすごいですね。スーパーGTより先進的な気が……。
テクニカル・レギュレーション
- 全てのギアボックス/エンジン/ディファレンシャル/ECUは封印されており、イコールコンディションが確保されている。
- ギアボックス/エンジン/ディファレンシャル/ECUを供給するのはジネッタ社のみ。
- 車検においては最先端のシャシーダイナモを使用し、不正が無いか馬力を計測する。
エンジンなどはアッセンブリー交換で、いじることはできないようです。ワンメイクレースでも不正する輩が必ずいるので、ジネッタのようなやり方の方が良いと思います。
ジネッタが主催するレースシリーズ
ジネッタはレーシングカーを売り、その車でレースを運営して、利益を得ています。シリーズが盛況になるほどレーシングカーが売れるというビジネスモデルです。ぎっしりと埋まったスターティンググリッドは、彼らのビジネスが順調であることを示しています。
ジネッタ・ジュニア・チャンピオンシップ
その名の通り若手ドライバーが参戦するシリーズです。参戦できるのは14〜17歳のドライバーに限定されています。
全戦がBTCCのサポートレースとして開催されるため、テレビで生中継されています。
使用されるのはジネッタG40ジュニア(最高出力100hp)です。タイヤはミシュランのワンメイクとなります。
ジネッタGT5チャレンジ
ローコストに主眼を置いたシリーズで、PROクラスとAMクラスの混走となります。1戦あたり3レース行われ、3レース目はリバースグリッドスタートです。
使用するマシンはG40 GT5。こちらもBTCCのサポートレースです。
ジネッタGT4スーパーカップ
ジネッタが主催するワンメイクシリーズの頂点に君臨するのが、GT4スーパーカップです。こちらにもAMクラスがあります。使用するマシンはG55 GT4です。
ジネッタ・スーパーカップが輩出したドライバーとしては、アダム・モーガンやトム・イングラムがいます。モーガンは2016年のBTCCで2勝を含む表彰台5回を獲得していますし、イングラムはBTCC初勝利を達成しました。
GT4スーパーカップもBTCCのサポートレースなので、やはりテレビで生中継されています。
レースに必要な全てをお膳立て
ジネッタは単純にレースを主催しているのではなく、公平な審議を行える体制の整備や、イコールコンディションの徹底化、テレビ放送の充実など、ドライバー・チーム・スポンサーの3者が利益を得やすいようなインフラをきっちり揃えています。
また、サーキットのホスピタリティも素晴らしく、参戦しているジェントルマンドライバーたちが、スタードライバーになった気分を味わえるよう配慮されています。アマチュアドライバーでも活躍すれば、全国中継のテレビインタビューを受けられるんです。
ホスピタリティが充実していれば、ドライバーの家族も楽しめますし、スポンサーも福利厚生の一貫としてお金を出しやすくなります。
テレビ放送もシーズンあたり2000万人以上もの視聴者を獲得していますし、サーキットにも1シーズン40万人弱の観客が来場しているようです。BTCCとともに素晴らしいイベントを作り上げることで、ジネッタも大きな恩恵を受けているわけです。
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