スーパーGTとDTMが世界選手権になっても、JTCCやITCみたいに消滅する理由

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この道はいつか来た道

スーパーGTドイツツーリングカー選手権(DTM)が統合するだけでなく、世界選手権化となり、WTCCに取って代わるのではないかと噂されています。

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世界選手権になるなんてスゴイ! ばんざーい! と思うかもしれませんが、モータースポーツでは世界選手権化は鬼門です。

世界選手権と名乗るには、最低でも4つの大陸を回らなければなりません。そのため世界中を転戦しなければならず、コストが飛躍的に増大してしまうのです。

ただでさえモータースポーツにはお金がかかるのに、そのうえロジスティクスのコストまで上乗せされては、よほどの金持ちチームでなければ参戦すらできなくなります。

そもそもDTMとのレギュレーション統合は、開発コストを削減するためだったはず。それが世界選手権化して高コストになれば本末転倒です。

今回はコスト高騰でつぶれてしまったレースシリーズの歴史を振り返りながら、モータースポーツにおけるコスト削減の重要性と、それ以上に大事なことをあらためて確認したいと思います

トップ画像の出典: gtspirit.com


コスト高騰でつぶれたレースシリーズ

JTCC

94年に始まった「全日本ツーリングカー選手権(JTCC)」は、コスト高騰→シリーズ休止となった代表例です。

BNR32スカイラインGT-Rが主役だったグループAツーリングカーレースの世界的な衰退を受け、イギリス・ツーリングカー選手権(BTCC)をモデルにした2リッター・FF車のレース──JTCC──が導入されました。

レースを破壊したアコード

JTCCは当初低コストだと言われており、バブル崩壊後の日本のレース界を救うはずでした。

しかしトヨタ・日産・ホンダの熾烈な開発競争によって、瞬く間にコストは高騰。とくに97年に投入されたホンダ・アコードは、文字通りのスーパーマシンでした。圧縮比14(97年仕様)のH22Aエンジンは、「市販車のブロックを持ったF1エンジン」と称されるほどで、もはや市販車ベースであることの意義が失われていたのです。

画像の出典: honda.co.jp

JTCCアコードは手がつけられないほどの速さを見せ、96・97シーズンを席巻します。アコードに勝つためにはアコード以上にお金をかけなければなりませんが、アコードは1台あたり数億円という巨費を投じた車です。バブル崩壊後の自動車メーカーが、正当化できるレベルの予算ではありませんでした。

勝ちまくっていたホンダでしたが、97年かぎりでの撤退を発表します。速すぎるアコードに対し、重箱の隅をつつくようなイチャモンを度々つけられていたホンダは、シリーズの運営そのものに不信感を抱いていたようです。予算の高騰も理由のひとつだったでしょう。会社の経営状態が悪化していた日産も、ホンダに続いて撤退しました。

JTCCはトヨタのワンメイクレースのような状態で99年まで存続しましたが、そこで力尽きます。晩年の客入りは悲惨そのものでした。

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ITC

95年に始まった「インターナショナル・ツーリングカー・チャンピオンシップ」は、「クラス1・ツーリングカー」を用いたレースです。

クラス1・ツーリングカーとは?

アルファロメオ・155 V6 Ti

画像の出典: modelcarsport.nl

エンジンは排気量2.5リッター未満・6気筒以下・1気筒あたり4バルブ以下のNAエンジンと定められていました。

クラス1の特徴としては、4WDやトラクションコントロール、ABSなどのハイテクデバイスが許可されていたことです。また、ホイールセンターから下のエアロダイナミクスも自由に開発できました。

わずか2年間で終焉

参戦メーカーは、メルセデス・ベンツ、オペル、アルファロメオの3社でした。95年はドイツ国内のレースをDTMとして開催し、ドイツ国外のレースをITCとしていましたが、96年からはITCに一本化されます。

96年はブラジルや鈴鹿などでも開催され、実際に世界へと羽ばたいた年でもありました。

しかし視聴率は芳しくなく、ドイツ以外では観客もまばらでした。収入が伸びないのにコストだけが右肩上がりに増えていった選手権は、アルファとオペルの撤退で空中分解。たった2年で消滅してしまったのです。

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WRC 第1期WRカー

WRCは崩壊していませんが、経済的な問題から選手権の運営方針を180°転換したので、取り上げることにしました。

WRカーの登場

日本車を追放すべくFIAが画策したレギュレーション……という話がよく日本で語られていますが、もちろんそんなことはありません。スバル自身がWRカーの導入に積極的だったのですから。

グループAは市販車ベースですが、90年代半ばにはすでに高コストなレギュレーションになっていて、たしかグループAインプレッサは1台あたり6000〜7000万円ほどしたと記憶しています。

市販車ベースというと低コストに思われがちですが、改造範囲が狭いため、競技用に十分な剛性や耐久性を確保するのが難しいという問題がありました。ボディの入れ替えやパーツの交換を頻繁に行わなければならず、高コストになっていたのです。

しかしWRカーの導入で、コストは大幅に引き下げられました。インプレッサWRC99の価格は1台あたり4500万円。耐久性の向上で年間の製作台数も減らせたため、スバルのような小規模なメーカーにとって、WRカーは福音だったのです。

青いインプレッサは、WRCの顔だった。

画像の出典: GTCarCompetition via youtube.com

競争の激化と開発費の高騰

ですがそんな低コスト時代も長くは続きませんでした。99年になると206WRCを引っさげてプジョーが復帰し、フォードも81年のアリ・バタネン以来のチャンピオン獲得を目指し、革新的なフォーカスWRCを投入します。

また、F2キットカーで争っていたセアトやシュコダがWRカーにステップアップしたため、99年限りでトヨタが撤退したにもかかわらず、2000年のWRCには6メーカーがひしめき合う事態となったのです。

当時はアメリカもヨーロッパも好景気でしたから、各メーカーは湯水のごとく金をWRCに注ぎ込んでいました。

センターのみだったアクティブデフは、いつの間にかフロントとリアにも付けられるのが当たり前に。ラリー界ではそれまで重要視されていなかったエアロダイナミクスも、もはや無視することはできないファクターになり、開発予算を圧迫し始めます。ターボもリストリクターに対応した専用品でないと勝てなくなりました。

2000年代半ばになると、WRカーの価格は1台あたり1億円以上に高騰。それが何台も必要になるわけですから、もはやスバルのような小規模メーカーが勝てる場所ではなくなっていたのです。

ドライバーのギャラもうなぎのぼり

また、マシン以外のコストも増大していました。98年シーズンが終わると、"ミスター全開"コリン・マクレーが、スバルからフォードへと電撃移籍しましたが、このときフォードが提示したギャラが600万ドルと言われています。当時のWRCでは破格のギャラです。

こうなってくるとマクレーと同等かそれ以上の実績を持つカルロス・サインツやディディエ・オリオール、トミ・マキネンなども、移籍に際してはマクレーと同等のギャラを要求します。勝つためにトップドライバーを二人揃えると、ギャラだけで1000万ドル以上も必要な時代になってしまったのです。

F1化の失敗

これだけのお金を投じていた理由は、世界的な好景気(日本を除く)だけではありません。プロドライブのデビッド・リチャーズがWRCの商業権を取得し、テレビ放映権ビジネスでラリー界を潤わせるとぶち上げていたからなのです。

また、コスト軽減を訴える彼の要望を聞き入れたWRCは、フォーマットを大幅に変更しました。「クローバーリーフ」と呼ばれるような、サービスパークとその周辺ステージを頻繁に行き来するスタイルを導入したのです。これは観戦しやすくするだけでなく、テレビ映像を撮影しやすくする目的もありました。

しかし同じ場所ばかり走るようになったために、セッティングの決まっている特定のドライバーが独走しやすい環境になってしまっただけでなく、映像も似たようなものばかりになり、WRCの魅力──激しい優勝争いと美しい景色──は失われてしまったのです。

そのためF1のような高額の放映権料を支払ってくれる放送局は、ついに現れませんでした。コストだけが高騰し、収入は変わらず、挙げ句の果てにリーマン・ショックですから、迫力不足・魅力不足でも、低コストな新WRカーレギュレーションに切り替えざるを得なかったのです。

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モータースポーツを盛り上げるために必要なたった1つのこと

JTCC、ITC、そしてWRCの失敗例を見てきました。

しかし3つのレースシリーズは、決してつまらなかったわけではありません。途中で歯車が狂い、転落の一途を辿ってしまいましたが、いずれのシリーズも盛り上がっていたのです。

3つの失敗例に共通するのは「高コスト」ですが、高コストだけが理由ならば、F1はとうに消滅していなければなりません。F1みたくなれなかった理由があるはずです。

その答えとなるのが、3つの失敗例におけるもう一つの共通点である「ファンの思い入れ不足」です。

ファンの思い入れが不足した3つのレースシリーズ

JTCCはオヤジセダンのレースでしたから、ファンは最初からマシンに思い入れなど持っていませんでした。

それでもメーカー対決がありましたし、日本のトップドライバーたちが激しいバトルを繰り広げていたので人気はありましたが、アコードの登場ですべてが台無しになったのです。ホンダの誰かが勝つだけのレースになってしまったわけですから。

ITCはDTMが前身ということもあり、ドイツ国内では人気がありました。メルセデスとオペルが出ていましたし、ドライバーにもドイツ人が多かったからです。しかし縁もゆかりもない地に行けば、ファンとの繋がりもありません。失敗するのは火を見るより明らかでした。

WRCは車もドライバーもユニークで、ファンもかなり思い入れをもって応援していたと思いますが、残念なことにラリーはテレビ放送に向いていないのです。

ダイジェストや特定ステージの生放送だけでは、応援したいドライバーやチームがろくに映らないわけですから、応援しようがありません。ファンが思いを投影することができないのです。

先日のWEC富士を見ていた人なら、走るマシンや人に思いを投影するということの意味がわかるはずです。WRCはそれができないのですから、放映権料ビジネスが上手くいかなかったのは当然といえます。

「思い入れ」をどうデザインするか

ファンの思い入れを、スポーツという空間にどのように表現するか、そしてそれをどのように伝えていくかというのは、すべてスポーツビジネスの課題です。

自動車メーカーのファンは各メーカー謹製のレーシングカーを見たいわけですから、あまり高コストになって自動車メーカーが撤退してしまうと、レースへの興味を失ってしまいます。

応援しているドライバーの活躍を見たいファンもいます。ともかくバトルが見たいというアドレナリン中毒患者もいるでしょう。彼らはオーバーテイクの少なさにイライラしているはずです。

いろいろな人たちが興味を失わないようにバランスを取りつつ、思い入れを少しずつ集めて、それをコース上の走りで表現していかなければなりません。

先日のWEC富士でトヨタが勝ちましたが、小林可夢偉選手のファンにとっては感慨深いものだったはずです。自分の実力以外の要因で苦しんできた彼が、世界選手権でついに優勝したのですから。

ル・マンの借りを返す勝利ということで、トヨタのファンも溜飲が下がったでしょう。日本のメーカーとドライバーの勝利でしたから、日本人としても誇らしい気持ちになりました。

でもモータースポーツを知らない人たちには、多分何も伝わっていません。「レースなんて興味ない」「F1なんてオワコンだ」という人たちの思いを汲み上げることこそ、これからのレース界に必要だと思います。

それができなければ「クラス1ツーリングカーの世界選手権だぞ!」と海外に乗り込んでいったところで、相手にされないのがオチです。DTMと統合しようが、FIA世界選手権の看板を掲げようが、シリーズを成功に導けるのはお客さんだけなのですから。

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