レイトンハウスとは何だったのか? その4(最終回)

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赤城明が作ったレイトンハウスの命運は、もはや風前の灯でした。一気呵成にF1の表彰台にまで上り詰めたレイトンハウス・レーシングチームでしたが、バブル崩壊と赤城の逮捕を契機に、今度は破滅へと転げ落ちていきます。

この稿はレイトンハウスとは何だったのか? その3の続きです。

シリーズ未読の方は、レイトンハウスとは何だったのか? その1から読んだ方が、より楽しめると思います。

画像の出典: GOD SPEED YOU


富士銀行不正融資事件

91年9月に赤城が逮捕されたのは、富士銀行赤坂支店の詐欺事件に関与していたためでした。富士銀行(現・みずほ銀行)の渉外課長がその地位を悪用した事件で、被害額は7000億円と見積られています。赤城は2000億円を不正に受け取ったとして逮捕されたのです。

詐欺の手口

まずコンピュータに架空の預金額を打ち込んで、架空の預金証書を作ります。そしてコンピュータの記録の方だけを入力ミスとして抹消するのですが、架空の預金証書の方は廃棄せず手元に残します。すると富士銀行側の記録にはない「富士銀行の預金証書」が出来上がるわけです。

この架空預金証書と、偽造した質権設定承諾書を組み合わせてノンバンク(消費者金融やクレジット会社など)に持ち込めば、まず間違いなく融資を受けられます。「この人にはこれだけの預金がある」と、富士銀行が保証しているわけですから。

ノンバンクから不正に引き出した融資は、赤坂支店の口座に一旦預金されるものの、1週間ほどで解約され、何処かへ消えていったといいます。赤城はノンバンクから不正に融資を引き出した富士銀行取引業者4人のうちの1人として、渉外課長とともに逮捕されました。

レイトンハウスF1と不正融資の関係は?

この詐欺に渉外課長が手を染め始めたのは、87年頃からだそうです。手荒な地上げに対する世間の反発から、融資が締め付けられたために考えられた手法と見られています。

赤城が最初から関与していたかどうかは不明ですが、レイトンハウス・レーシングの活動時期と被っているのは間違いありません。赤城が不正に受け取った2000億円の使いみちに、モータースポーツが無かったとは言い切れないと思います。お金がどこに消えたかは裁判でも結局わからずじまいだったので、あくまで推測ですが。

赤城が逮捕されたことで、レイトンハウスのロゴはCG911の車体から消えました。資金源を失ったレイトンハウス・レーシングに、生き残る道は残されていませんでした。

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消滅

1992年、F1からレイトンハウスの名前が消えます。エントリー名をマーチに戻したからです。そのマーチも92年限りでF1を去ります。

国内レースでは88年以降タイトルから遠ざかっていましたが、それでも強豪チームでした。しかし90年頃から徐々に活動規模を縮小、91年には全日本F3000のみに。そして92年には完全撤退にまで追い込まれてしまいます。その後、萩原光の弟・任(まこと)氏がチームを引き継ぎますが、活動は結局この年限りでした。

86年の結成から、わずか6年。レイトンハウスはサーキットから姿を消しました。レイトンハウスだけではありません、バブル期にこぞってモータースポーツをスポンサードしていた日本企業の数々も、あっという間にいなくなってしまったのです。

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レイトンハウスとは何だったのか?

このシリーズをここまで読んできた人ならわかるように、レイトンハウスは見た目だけのチームではありません。F1ではマーチという万年下位チームを立て直して3度も表彰台に上っていますし、87年には全日本F3000と富士GCのタイトルを獲得しています。短期間のうちに稀に見る成功を収めたレーシングチームだったのです

また、マーケティング面でも大成功したチームでした。とくにレイトンハウスのアパレルは、いまだに着ている人を見かけるほど(駅で見て驚いたことがあります)です。復刻版が出るほどですから、まだまだニーズがあるのでしょう。

速さと話題性を兼ね備えていたレイトンハウスは、プロフェッショナル・レーシングチームの完成形だったといえます。レースで結果を出し、マーケティングを拡大し、その成果でさらにチームを強化していく。バブル景気だったとはいえ、国内の自動車メーカーに頼らずに、自力でF1に進出して結果を残したのは彼らだけです。

ちなみにレースを利用して大々的にマーケティングする手法は、同時期に日本たばこ産業(JT)もやっていました。両社はどちらも86年からモータースポーツに参入したのですが、レイトンハウスの方が先に成功したことも評価すべきでしょう。

自動車メーカー頼みの現状を憂う

2016年現在、日本国内のモータースポーツは、資金・マーケティングの両面で自動車メーカーに依存しています。自動車メーカーなしでは成立しないほどに、依存症が進んでしまっているのです。

自動運転が一般化すれば、自動車メーカーがモータースポーツをやる意義が失われます。モータースポーツは自動車メーカーから自立する必要があるのです。そのためには普通のスポーツとして、世間一般に認知されなければなりません。

世間一般に認めてもらうには、レースを通じて人々の「憧れ」や「共感」を獲得する必要があります。レイトンハウスはそれをものの見事にやってのけました。

日本は相変わらず不景気なものの、ゴールデンウィークのスーパーGT・富士ラウンドには、毎年8〜9万人もの観客が訪れています。しかし観客の「憧れ」や「共感」を得られるようなチーム運営ができているかと言うと、首を傾げざるを得ません。

不足しているのは、「チャレンジ」だと思います。今年のスーパーGT・タイラウンドで、#19 WedsSportの初勝利が大きな感動を巻き起こしたのは、彼らがプライベーターとして散々苦労してきたのを、ファンは皆知っていたからです。#19がチャレンジャーでなかったら、あれほどの共感を呼ぶことはなかったでしょう。

今年(2016年)のプロ野球・日本シリーズが盛り上がっているのも、25年間も負け続けてきたカープがやっとの思いでリーグ優勝し、日本一に挑んでいるからでしょう。これがもし読売巨人vsソフトバンクだったら、「ああ、またか」と思われて終わりです。

F1に出ろとは言いませんが、国内トップのチームはもっと海外のレースに挑むべきです。ニュルの24時間やVLN、ブランパンGT、アジアン・ル・マンなどは、アマチュア主体なのですから、そこまでの費用はかからないはずです。

海外のレースに挑み、挫折し、それを乗り越えて勝利する歩みの中でこそ、「憧れ」や「共感」を引き付ける磁力のようなものが生まれてきます。レイトンハウスが体現したその現象の記憶こそ、彼らが日本のモータースポーツ界に遺した「遺産」です。バブル期にサーキットへと押し寄せた数多の日本企業は「タニマチ」に過ぎませんでしたが、レイトンハウスはF1への新しい道を切り開いた「チャレンジャー」でした。

筆者は赤城明氏の犯した罪を擁護するつもりなど毛頭ありません。でも赤城氏のインタビュー記事を読んでいると冒険譚のようでワクワクしてきますし、イヴァン・カペリの駆る青いマシンがフェラーリやマクラーレン・ホンダとバトルしている映像を見れば、思わず「がんばれ!」と応援したくなります。モータースポーツの素晴らしさって、そういうところにあるのでは?

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